【療育・就学・進路など】判断を変えられないもの・変えられないように見えるもの

●私が思うこと,考え・気づき

私が思うこと 凸凹家族のひとりごと。

こんにちは!lenoreです。

今回は、子どもにまつわる様々な判断について私が思うことを書こうと思います。

 

どんな子育てでも、入園・就学・進級など、様々な切り替わりの時に「悩んで→判断」となりますよね。

娘は今特別支援学校に通っているんですが、ここに至るまでにもいろんな判断をしてきた気がします。

 

そんな時に毎回ふと思う

その判断が今後を左右するっていうすごく重要な & 変えることが難しい判断もあるけど、

「一度決めたらもう絶対変えられないからね!」って感じに見える判断もあるよなぁ…🤔

ということについて書いていきます。

 

※文中にある就学・進学の仕組みは、地域によって異なる可能性があると思うので、この人の場合はこうだったんだなぁくらいで読んでいただけるとありがたいです🙇‍♀️

判断する時の基準

過去に娘に関することで、特に何に悩んだか思い出してみると、

●どこの療育に通うか
●どこの相談事業所を利用するか
●保育園幼稚園はどうするか(結局行かずに療育のみで就学)
●就学1年目から特別支援学校にするのか、1年目だけ小学校支援級にするのか…

…など、結構大事な判断で悩んだなと思います。

 

こういう判断をする時の私の基準は、

基本的には「その瞬間の娘の様子をしっかり観察する」というのが一番大きいです。

例えば、一緒に見学に行ける場所なら、その時の娘の反応をしっかり見るという感じですね。

(笑顔か、楽しそうか、難しいと感じていそうか、娘の特性と施設の仕組み自体との相性はどうか…など)

 

娘は「夜ご飯何食べたい?」「カレーライス!」的な、言葉による会話が難しいので、

一緒に行けた時に、今がチャンスだ!という感じで娘の様子を観察するのが常でした(今も…かな)。

 

そして「その瞬間の娘の様子をしっかり観察する」をしても、まだ悩んでしまう時には、

その事柄に関する本や記事を読んだり、周りの人に相談したりします。

そうすることで「そっか!」と気付きをもらえることが多く、本当にありがたい時がありました

療育って…

「通ってみて、キツそうなら変えていいんじゃない?」

娘を育てる中で、今までで一番悩んだのは、やはり療育関連のことかなと思います。

 

そもそも"療育"という言葉をついこの間まで知らなかった状態から、

実際に見学し…施設の方の話を聞き…聞いたことを後日家族に話し…一人で悩み…

まだ定員に空きがある間に判断しなければと、これらをドバーっと詰め込むようにやったので、

頭の中がごちゃごちゃになってしまった時がありました。

 

そんな時、友人に相談して言われたのが、

「どちらも印象が良かったんだよね?通ってみて、キツそうならかえるか辞めるかでもいいんじゃない?」という言葉。

その手があったか…!😮⚡と雷にうたれたような感覚になりました。

変更することが許されない(ように見える)状態

療育って、義務教育の小学校や特別支援学校と違って、

見学や面談等をして、納得したところと契約をして利用するという感じですよね?

 

なので形態だけに限って言えば、スマホ回線を選ぶ時のような「一般的な契約をする類のもの」と近く、

使ってみなければ・通ってみなければ分からないことがすごく多い気がします。

 

…なんですが!!  療育を決める時って…なんというか…

「早く娘の環境を整えなければ!」という焦りからか…

「大丈夫なの?」「どうするの?」という周りの人からの心配を受けてなのか…

意味のある言葉を話すのがすごく遅かった娘の様子を見続けていたからなのか…

どんどん深く・重く考えてしまうんですよね🤔🤔

 

本来なら、一定期間利用して違うなと思ったら、

契約期間切り替わりの前に終了を申し出て、それ以降は通わないということが出来るはずなんですが、

頭の中が変更することが許されない(ように見える)状態に勝手になっちゃうんですよね💦

頭の中にフィルターがかかってる感じ?

 

なので、先程の友人の言葉は、私の頭の中をフィルターがない状態に戻してくれましたし、

「そうだよね…何事もやってみないと分からないよね。絶っっっ対に変えてはいけないなんて言われてないんだから、通ってみてから判断も全然ありだよね」

…と前向きな考え方に変えてくれました✨

特別支援学校・小学校の場合は…

特別支援学校↔小学校間で悩む事柄

ここまで「途中で変更することが許されない(ように見える)状態」や

「やってみて無理そうなら変えてみる」ということについて触れてきましたが…

義務教育である特別支援学校や小学校の場合は、なかなかそれが難しいかなと感じます。

特に、特別支援学校↔小学校間で悩む事柄は、変更が難しいものが多い印象です。

特別支援学校の先生の言葉

娘は就学の時点で療育手帳がA判定でしたし、

日常生活の中で声掛けの介助が必要なものが今よりもすごく多かったので、

親としては特別支援学校を最初から希望していました。

 

が、念のため地域の小学校についても特別支援学校の先生に伺ったところ、

特別支援学校と小学校支援級で悩んでいる場合、1年生の間だけ小学校支援級に通って、2年生から特別支援学校ということも出来る。でも、途中で「やっぱり特別支援学校の方が合っているかもな…」と思ってもすぐには変えられない。年度末=2年生になるタイミングまではそのまま。

小学校支援級→途中の学年から特別支援学校のパターンはあるが、特別支援学校→途中の学年から小学校の逆パターンはかなり稀。

特別支援学校に通い続けた場合と、小学校中学校~と通い続けた場合、進路が全く異なってくる。

今から思い返しても本当にありがたく感じる程、かなり重要なことを教えて下さいました。

市の就学担当の方の言葉

この特別支援学校の先生が教えてくださったことを受けて

「娘は保育園に通っていなかったのもあって、一般の小学校に通う子達との交流が極端に少ないんだよな…🤔」と、

1年生の間だけ地域の支援級に通うこともほんの少しだけ頭によぎりましたが、

 

後日お話した市の就学担当の方の

「…とはいっても、やはり小学校は"勉強"するところですからね…」という言葉をいただいて、

確かに…。娘は困りごと・特に言葉に関する困りごとが多いし、言葉のやり取りは日常生活の基本。なら日常生活の大切なことをひとつひとつ実際に身につけながら言葉を学んでいくという方(特別支援学校)が、娘にはやっぱり合っているかな🤔

と判断することが出来ました。

 

いろんな方に言葉をかけていただいてありがたいことです本当に😭✨

もう少し融通がきいても…

インクルーシブ教育に賛成ではない理由

私は(完全な)インクルーシブ教育というのにはあまり積極的な気持ちではありません。

障害というのは、日常生活にかなり支障があるからこそ障害と言う、と思っているからです。

(相互理解の為に、障害がある人とない人の交流の機会を設けることはすごく大事だと思っています)

 

これは優劣などでは決してなく「プラスアルファの行動(配慮)が必要なもの」という感覚です。

なので、普段Aという行動だけだったところに、A+B+Cという行動にするためには、

人員や人々の認識もろもろ含め、環境が整わなければ難しいことかなと思っています

 

●自分で出来る

●自分で出来るけど、ちょっと疲れる

●介助があれば、半分は自分で出来る

●介助の人と一緒なら出来る

●介助があっても達成が難しい

これらを、一緒の環境でずっとやっていくのは、結構ハードルが高いですよね。

そのための支援級特別支援学校かなと感じています。

 

障害があるからそちらに…というよりも、

その環境の方がその子にとって居やすい場所になる可能性が高いという感覚ですね。

画一的な基準で分けられるのは…

ただ、障害のあるなしに関わらず、個々人の成長って本当に様々で十人十色なので、

1つの枠内だけでずっと考えるのってちょっと融通が…という風に考えたりもします。

 

なので、実際に本人が困っているのに

手帳の判定が◯◯じゃないから・知的な遅れがないから…など、

画一的な判断基準で分けられて困っている方を見かけると、なんだかなぁ🤔ともどかしい気持ちになります。

 

私は自分の意志で大学を1年留年して卒業したので、同級生の就職のタイミングとは別で社会に出ました。

大学在学中に母が亡くなったため(母子家庭)、卒業後社会に出て一人暮らしをしていた時は大変でしたが、

「留年せずに社会に出ておけばよかったー😭」と感じる時はありませんでした。

 

こういう大学→社会というタイミングだけでなく、社会に出て以降に対する感覚も同じです。

 

「一般的な王道・枠からちょっとでもそれることを良しとしない」雰囲気や

「ここでの判断基準は◯◯です。いかなる変更も出来ません」という固定的な感じ…

「うーん🤔」と感じることが多いんですよね。

 

常にアウトローにいきたいわけではないですが笑、

まぁ人生って何が起こるか分からないですし、

横道・脇道・まわり道が一切無い地図なんて完璧すぎない?!

そういうのがあっても・それても戻れる構図になってるのが地図なんじゃないの?!と感じます。

まとめ

これから年度末~年度始めにかけて、いろいろな判断をしなければならない瞬間が増えてくる時ですよね。

判断の中には、先々のことを考えるとそちらに決めざるを得ないみたいなことがあると思いますが、

やはりその人にとって居心地の良い環境はどこかというのが重要だと感じます。

 

↑これが理想論ということも分かっていますし、社会が許さないという場合もあると思います。

 

でも、誰かと話してみることで「ワンチャンそれってA+みたいな亜種パターン出来ないですかね…?」的な

ライトな提言=変わるきっかけになることもあると思うので、

その物事が難しそうな時は、いろんな部署の人と話してみることは結構大事かなと感じます。

 

いやー…横道・脇道・まわり道があっても・道を変えても、戻れる構図になってる地図、

(てかこれマジてリアルにノーマルな地図だよね🤔??)

社会に少ないのほんとになんだろなーー??

 

長文読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m

●私が思うこと,考え・気づき

Posted by lenore