【ギリギリの愛情】BBCドキュメンタリー『ルイ・セローが見た 自閉症 誰も知らない究極の愛』

●私が思うこと,参考になった本・映画・テレビ番組等

私が思うこと 凸凹家族のひとりごと。

こんばんは☆lenoreです。

今回は、Amazonプライムでたまたま見つけたBBCのドキュメンタリー番組、

『ルイ・セローが見た 自閉症 誰も知らない究極の愛』について書こうと思います。

Amazonプライムビデオ ルイ・セローが見た 自閉症 誰も知らない究極の愛(字幕版)

自閉症の子どもをもつ「親」に焦点をあてた内容で、ただただ共感しっぱなしでした😭

 

わかりみが深すぎる

1時間ほどのこの番組。

観終えてまず思ったのは「共感しかないこれは🤔」

最近の言い方で言ったら「わかりみが深すぎる😭」

 

タイトルに"究極の"愛とついている通り、

自閉症の子を持つ親の状態は、本当に極=ギリギリだと改めて感じました。

7歳の双子兄妹マルセロくんとルーシーちゃん(2人共自閉症)、母パウラさん父パウロさん

一日が終わり子どもたちがやっと寝たあと、番組インタビュアーのルイがご両親と話します。

ルイ
「気分はどう?」

パウラ
「疲れたわ。乳幼児と同じだもの。魔の2歳児のままなの」

パウロ
「どんなに手を尽くしても、あの子たちは怒ってわめく」
「結婚生活はガラリと変わってしまった」

パウラ
「楽しく過ごす時間がもうもてない」

パウロ
「犠牲が大きい。夫婦で愚痴を言うくらいだ。旅行には行けないし、パーティにも行けない」
「外で楽しんでいる普通の子どもたち(regular kids)を見ると…」
→別の部屋へ立ち去る。話すのも辛くなられた様子😢

パウラ
「私には夫の気持ちがよく分かる。普通の子どもたちを見ると、つい思ってしまう。」
「“アメフトをしているのが息子ならいいのに”、“あのチアリーダーが娘ならいいのに”って」
→夫パウロさんの様子を見に行かれます。パウロさんは少し涙目で出てこられました。

ブライアンくん(自閉症)、母ジョセフィンさん

ブライアンくんは8歳の時に自宅を燃やし、母ジョセフィンに暴力をふるうように。

現在は平日はグループホームで暮らし、土日の日中は家で過ごす生活。

※夜寝なくてご家族が大変なので、土日の夜はグループホームへ戻るそう。
州立の自閉症の子のための専門校DLCで職業訓練のようなことをしていたので、18~19歳くらいではないかと思います。

ルイ
「彼を家に置けないと思ったきっかけは?」

ジョセフィン
「心の底では耐えられないと思っていたの。絶対に耐えられない。自分の子に怯えるなんて異常なことよ。息子から隠れないといけない。つかまれて髪が抜けたし、首をつかまれて窒息しそうだった時もあったわ。そしてこの子は夜寝ないから大変なのよ」

ルイ
「(グループホームでのブライアンは)とても満足そうで穏やかだ。どうしてだと思う?」

ジョセフィン
「以前より穏やかな環境にいるからね」

ルイ
「家を同じ環境にするのは…?」

ジョセフィン
「あの状況では無理よ。私たちはとても疲れ切ってなにもできず、ストレスをためていたの」

ルイ
「今、あなたも幸せ?」

ジョセフィン
「幸せになったと感じる部分もあるわ。ストレスが大幅に軽減されたからよ。でも同時に、息子と一緒にいられなくて寂しい気持ちもあるわ」
→「あの状況では無理よ…」のあたりから、絞り出すように答えておられました。

【息子といることが自分にとってものすごくストレスだった↔でも今一緒にいられないことが寂しい】

まさに究極の状態

この紙一重なところがものすごく共感できました。

覚悟・共感・尊敬

特に印象に残った方

ルイさんは計4家族に密着されておられて、その中でも特に私の印象に残ったのは、

13歳のジョージくん(自閉症)の母キャロルさんのお話でした。

 

ジョージくんは癇癪を起こした時の動きがかなり激しいタイプの子で、

突然壁や他の人を・更には自分自身も叩いてしまいます。

大人が何人かで彼の上に乗って軽く拘束して、水を飲ませて落ち着かせないと収まらない程です。

(この方法は実際に見るとすこし強めに見えますが、番組最後にはもう少し違う落ち着かせ方を使っていました)

 

撮影中にも突然癇癪を起こし、キャロルさんと夫2人で抑えないといけなくなり

番組のインタビュアーであるルイも手伝ったりしましたが…なかなか落ち着きません。

 

その時ルイが「少し席を外そうか?」と尋ねると…

「いいえ。撮影をしないと自閉症がどんなものか知ってもらえないでしょ。撮らせてくれる親は少ないわ」

とキャロルさんは即答

月並みな表現ですが…私はただただ「お母さん、かっこいい、すごい🙄」と思いました。

情報を提供する側 ↔ 求める側

このシーンを見て思い出したのは通っている療育でたまに出されるアンケートのことでした。

 

そのアンケートには、療育に対する評価と合わせて、

「療育中に写真や動画を撮るのはOKですか?NGですか?」
「OKの場合、顔を出して撮影は可能ですか?」

といったような質問が添えてあって、

私はいつも一部はOK一部はNGにしてプライバシーが守られるように回答しています。

情報を提供する側

 

その一方で、療育・発達障害などに関する講演会を聞きに行く時には、

療育を受けてる最中の子の写真や実際の動画を見ながらの方が、

「あっ!娘と似た動きの子がいるな。やっぱりああいう遊び好きなんだな。分かりやすいな」…ってなるんですよね。

情報を受ける側・求める側

 

この気持ち、相反しているような気がしながらも、

どちらも普通の感情かなと自分では思っているんですが

キャロルさんは「撮影をしないと自閉症がどんなものか知ってもらえない」という

より範囲の広い目的のために、いろんな意味の「覚悟」を決めていらっしゃるような気がして

共感とともに尊敬の念がわいてきました😭✨

全てが率直なドキュメンタリー

番組最後、ルイさんはこう締めくくります。

“自閉症の子どもへの親しみと、親への尊敬の念を胸に、僕は去ります。
自閉症の子どもを育てるには、苦渋の決断を伴います。
親たちは愛情の余力を探し、それを注ぎ続けます。
その努力は、小さな奇跡と言えるでしょう。"

たった4行の文ですが、彼がそれぞれの家族たちに密着して感じたことが、

尊敬の気持ち・応援する気持ちも合わさってギューッと濃縮されているような気がしました。

 

「愛情の余力を探」さないといけないくらい疲れ切っているんだけど、なんとか「注ぎ続け」る。

もうその時点で「奇跡」に近いことを成し遂げているんだ。

頑張ってるな、自分😭✨

知的障害+自閉症スペクトラム+ADHD+睡眠障害の娘をもつ親としては、こんな風に彼の言葉を捉えました。

 

私はAmazonプライムビデオ↓で見ましたが、2020年9月14日今日時点で検索するとHuluにもあるようです。

気になった方はぜひご覧になってみてくださいね🥺😉

作品詳細

2011年の番組。

ほぼ100人に1人の子供が自閉症と診断されるアメリカ。ルイ・セローは、自閉症児童に対して革新的な取り組みを行うある学校を訪問し、時に変わっていて、時に素晴らしくもある彼らの世界を目の当たりにする。

出演 ルイ・セロー, 自閉症の子のための専門校DLCに通うお子さん、そのご家族

(参照:Amazonプライムビデオ『自閉症 誰も知らない究極の愛(字幕版)』

予告編

↑『ルイ・セローが見た 自閉症 誰も知らない究極の愛』 niconicoドキュメンタリー版 予告編(niconico documentary  公式 YouTube チャンネルより)

 

読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m